top of page

アリストテレスの物理論:4原因説

Sep 5, 2014

5 min read

0

0

0

school_of_athens

アリストテレス(紀元前384〜322)はプラトンの弟子で、後の西洋哲学に多大な影響を与えました。残念ながら、日本語ではあまり読まれていなく、出版されているアリストテレスの訳本はありますが、言葉が哲学の専門用語ばかりで日本人には一般になじみにくい印象があります。よって、ここでは、専門用語をなるべく使わず、重要な概念を分かりやすく説明していきたいと思います。さらに、このシリーズでは主に哲学者の基本的な思想を理解するのが目的なので、細かい論点などの議論は避けようと思います。もし、私のアカデミックな記事・見解をもっと詳しく知りたい人は、同じブログ上の英語版記事を参照してください。

さて、シリーズ第1回目の今回は、アリストテレスの自然科学、物理学における生命や自然の産物の発生原因を説明していこうと思います。

自然の産物の存在理由・原因は4つあるとアリストテレスは言います。この4つの原因となるものが重なり合い、自然の生き物は生まれて来るのです。

①材料(何で?)

②形式やフォーム(どんな?)

③動力の源(どのようにして?)

④存在理由・目的(どうして?)

がその4つです。アリストテレスはこの理論を「自然の産物」と「人が作ったもの」の2つの例を挙げて説明しています。

まずは「人が作ったもの」、“銅像”や“船”を例にあげて検証していきましょう。

人が作る物の場合:

まず、材料が必要です。銅像の場合は『銅』、船の場合は『鉄』や『木材』といったものにあたります。ただ、いくらたくさんの材料があっても、それらの質材をどのように組み立てるかが重要になります。船や銅像を造るのに、設計図がなければどのように何を組み立てれば船になるのか、わかりません。つまり、説明書のような物が必要になるのです。それが、いわゆる『形式』となります。このフォームが決まっていなければ、人はどれが船でどれが銅像か、区別がつかなくなります。例えば、“ハサミ”は“ハサミ”の形をしていなければ、いくら材質が同じでも、ハサミの効力を発しないということです。金属で作られていても、コーヒーカップの形をしていれば、“ハサミ”としては、到底使えませんし、また材質が紙やプラスチックの場合、やはり“ハサミ”としては使えないでしょう。よって、材質、そしてそれに伴う、形式・フォーム、が必要になってきます。さて、現段階では、“材料”と“計画書”はあるけれども、それらを組み立てる作業員、もしくは『動力の源』となる物がありません。そこで、人やロボットのような、材料を“調理”する人、が必要となるわけです。人が作る物の場合、大抵は人間やそれを組み立てるもの、になります。でも、一体どうしてハサミならこのような『形式』をとらなければいけない、とか、船なら『あのような形式』、銅像なら『そのような形式』と決まっているのでしょうか?ここで、物事が生まれる4つ目の原因、『存在理由』が必要となってきます。例えば、ハサミの存在理由は、紙等を切るため。船なら、人や物資を運ぶため。また、銅像なら、鑑賞するため、などです。このように、人が物を作る場合、必ず目的があります。その目的のためには、どんな素材を、どのように、どうやって、組み立てるかということが大事になってきます。

さて、自然の産物に関してはどうでしょうか?アリストテレス特有のドングリの木の例を挙げて説明していきます。

自然の産物の場合:

木は一体どこからくるのでしょうか?元々は小さな種から育ってきます。この種が、木の存在に欠かせない『材料』ということになります。でも、いくら種があっても、DNAなどでどんな木に育つのかは決まっています。アサガオの種からひまわりが育つ事はありませんし、もちろん、チューリップの種からクジラが育つ事もありません。このDNAがいわゆる『形式』となります。この2つは常に一緒に存在しています。“種”という物には木になるための必要な素材とどんな木になるかを定めるDNAが必ずセットで存在するわけです。ただ、草木の場合、太陽の光、また水など、栄養になる物がない限り育ちません。よって、“種”そのものは“木になる可能性”を秘めているにとどまり、“実際の木”にはまだなっていない、ということになります。この成長を促す物(水分や食料による気の流れ)が『動力の源』となるわけです。では、なぜ“種”は“木”になるのでしょう?それは、木になることで、自ら“種”を生み出し、またその自然の過程を繰り返すため、だとアリストテレスは言います。人はなぜ大人になるのか?という疑問も、同じように説明付けられます。子供を産んでまたその自然のサイクルを繰り返すためです。ただ、子供を産まない人や、大人になる前に亡くなってしまう人もたくさんいます。これは、他の動物や草木も同じ事が言えます。この事から読み取れるのは、自然はサイクルを繰り返す事により、種(種族)の存続を摂理としています。ただ、この存続が可能なのは、それぞれの種族にたくさんのメンバーがいるからだという事です。だから、魚や草木のように、ある程度のダメージで死に至る種族などは特にたくさんの種を生み出す、ということがいえます。人間の場合は、子供が生まれてからも長く生きます。これはなぜでしょう?もし、人が成長する唯一の目的が、“種の存続”であれば、そんなに長く生きる必要はありません。アリストテレスは、これは人間の自然界での特別な位置づけにあると唱えます。人間は知性により、物を扱い、ある意味で“自然を真似る”ことができます。人工的に物を作り出す、というのは正にその例です。芸術や詩歌などはそのたぐいのものです。よって、人間は、他の生き物には存在しない『知性・理性』をもっているため、自然を超越した部分=知性があると考えられます。体は物理的に自然により生み出されたものなので、滅びてしまいますが、純粋な知性は体を必要としない(例えば数学などは体や空間がなくても理論上出来ます)ため、永遠に滅びないという考え方も出来ます。動物は人間のように、知性を使った、空間思考が出来ない、また理性を持たず倫理的判断が出来ないため、自然界では人間と同じ地位には立てないと、いうことになります。そして、人間が唯一、子供を生んだ後も長生きする理由としては、知性・理性を使い、自然の摂理を理解するため、だといえるのです。

Sep 5, 2014

5 min read

0

0

0

Related Posts

Comments

Share Your ThoughtsBe the first to write a comment.
bottom of page